父母と教師の会定期総会と講演会を行いました

2018.05.10

5月9日(水)、午後2時より、中学・高等学校父母と教師の会の総会を開催し、今年度の事業計画と予算が承認されました。

その後、講師に日本大学の近藤健史教授をお招きし、講演会を開催しました。テーマは「盛岡の文学風土―キリスト教と文学者たち―」です。

盛岡ゆかりの文学者である石川啄木、宮沢賢治、三木露風、野村胡堂などは、盛岡のキリスト教的文学風土との関わりが深いという共通点があります。講演の内容の一部をご紹介します。

 

童謡「赤とんぼ」の作詞で有名な三木露風(明治22年~昭和39年)は、大正9年から大正13年までの4年余りを北海道のトラピスト修道院出で講師として過ごし、大正11年に洗礼を受けました。そして大正15年5月23日、本学園の前身である東北高等女学校を訪問し、講堂で一般市民に向けた布教のための講演をしました。露風の残したその日の記録には、次のような記述があります。

 

「聴衆は誰も温和な顔をしてゐるやうに思はれた。盛岡市は昔の城下で風景の美にも富むから、自然に人の心も善いのであらう、どれ程の人々が聴いてゐたか知らないが、講堂に満ちてゐるという印象を私は其の時に得た。講演を終わつてから応接間にて小憩して後、ドシエ霊父と又教会に帰つた。東北高等女学校の校舎は瀟洒とした建築である。益々発展して信者が多く其の学校から出ることを祈る。」(漢字の一部を常用体に改めています)

 

また、石川啄木の妹・光子(明治21年~昭和43年)は、明治38年に本学園の前身である私立盛岡女学校に入学し、その時に啄木から黒い表紙の聖書をもらいます。その後石川家の経済事情により修学を続けられなくなり、フランス人の校長をはじめとする職員が修学を続ける手立てを講じようとしましたが、光子は明治40年の1月に退学しました。同年の5月に、光子は啄木とともに小樽にいる姉を頼って北海道に渡り、苫屋市にある聖使女学院(日本聖公会の婦人伝導士養成校)を卒業します。その後、伝道士として活動し、大正11年に聖公会司祭の三浦清一と結婚。伝道士であり社会事業家の妻として貧しい人々のために尽くしました。啄木の短歌には、光子が登場する歌があります。

 

わがために/なやめる魂をしづめよと/讃美歌うたふ人ありしかな

わが村に/初めてイエス・クリストの道を説きたる/若き女かな     (『一握の砂』より)

クリストを人なりといへば、/妹の眼がかなしくも、/われをあはれむ。 (『悲しき玩具』より)

 

この他、宮沢賢治の作品にキリスト教由来の人物が登場することなど、さまざま興味深いお話をしていただきました。

盛岡ゆかりの文学者とキリスト教、そして本学園の意外な接点を知り、学園の長い歴史にあらためて思いを馳せる機会となった講演会でした。